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東京家庭裁判所 昭和33年(家イ)3292号 審判 1959年3月02日

申立人 中井藤吉(仮名)

相手方 中井美子(仮名)

主文

申立人中井藤吉と相手方中井美子との間に親子関係が存在しないことを確認する。

理由

本件申立の要旨は、申立人藤吉と相手方の母さととは、昭和二十四年三月○○日婚姻をなし、さとは同年六月○○日相手方美子を出産したので、藤吉は同子を藤吉とさととの間の長女として出産届をし、戸籍にもそのように記載せられている。しかしながら、美子は藤吉の子ではないから、両者間の親子関係不存在の確認を求めるというのである。

よつて、当裁判所の申立人中井藤吉、相手方法定代理人中井新七、同中井さとに対する審問の結果、当庁家庭裁判所調査官の同人等および中井仙吉、中井たけに対する聴取調査の結果、ならびに記録添付の戸籍謄本の記載を綜合すると左の事実が認められる。すなわち、中井仙吉、同たけ夫婦の間に、長男義一、二男藤吉、三男新七外一女一男があつたが、昭和十九年義一は妻さとを迎えたが一箇月程で義一は出征、昭和二十年六月比島方面で戦死し、両者の間に子がなかつた。昭和二十二年になつて義一戦死の公報があつたので、仙吉夫婦は、さとを二男藤吉にめあわせようとしたが、さとは三男新七と相愛の間柄であつたので、これを拒み、藤吉もまた反対であつた。しかしながら、長男が死亡したときに、その妻は二男に嫁すといういわゆる逆縁の風習にしたがつて、藤吉とさとをめあわせようとする仙吉夫婦の強い希望に抗しかねて、藤吉とさとは、昭和二十四年三月○○日婚姻をした。しかし、その以前さとは既に新七の子を懐胎していたので、右婚姻後九十日たらずの同年六月○○日美子を出産した。藤吉はじめ仙吉夫婦も、美子が藤吉の子でなくて新七の子であることを十分承知していたが、藤吉はこれを自分達夫婦の嫡出子として出生届をした。その後昭和二十七年一月○日藤吉とさととは協議離婚をし、同年七月○○日さとは新七と婚姻をし、同年八月○日新七は美子を養子としたものである。

右の事実によれば、美子の出生は、藤吉とさとの婚姻成立の日から九十日たらずであるから、藤吉の子であることの推定は受けないのであるが、藤吉が、出生届をしているので、認知をしたものとみなされるところ、右認定のように、美子は新七の子であつて藤吉の子ではないこと確実であるから、右認知は無効である。よつて藤吉と美子との間に親子関係は存在しないものであるから、これが確認を求める本件申立は理由がある。

当事者は、本件調停委員会の調停において、主文と同旨の審判を受けることに合意し、かつ、右認定事実につき争がないので、当裁判所は右のとおり審判をする次第である。

(家事審判官 河野力)

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